談合問題雑感

ま、書くことをアナウンスしたからには、書かねばと思い書いてみる。
最初に言っておくけど、僕は談合の善し悪しについて書くつもりは全くない。ただ今回の報道を見て疑問に感じたことや今回の事件について僕なりに解釈したことについて書いていきたいと思う。

何故談合するのか

いろいろ考えられるが、今回の事件に限って言えば「市場の統制」の一言に尽きるのではないか。2社や3社が談合して独占するような市場であるならまだしも、47社もの企業、しかも一般に大企業と呼ばれるところが談合する理由に不当な価格のつり上げがあるとは思えない(甘いかな)。
では何故、「市場の統制」が必要なのか。3点ほど考えてみる。

1 鋼製橋梁の工事の特殊性

市場規模こそ3,500億円というものであるみたいだけど、鋼製橋梁なんてものは、官公庁以外に発注するところはない。とすると、その発注数は自ずと限られ、狭い市場を形成する。当然、狭い市場に多数の企業は必要ないので、その発注に関して施工技術を持つ企業の数は限られてくるのではないか。
今回談合を行ったとされる企業は、施工を行う企業群のマネジメントや工事全体のプランニングを行う企業であろうから、その橋梁工事に関し技術を持つ限られた数の下請け企業を有効に使うためには、落札を予定している企業の元に、その工事に関する企業グループを早めに形成する必要があったのではないか。

2 材料確保

中国の影響で鉄鋼業界が不安定なこの時期、多量の鉄を使用する橋梁工事にとって材料の押さえはその契約の成否の関わる問題である。しかし、どの企業が落札するのかが明確でない場合、たとえ国内に数社しかない鉄鋼メーカーといえども部材の確保は難しくなるのではないか。

3 契約会社の収益性

一つ目で述べたとおり特殊な工事を施工できる下請け企業は限られており、どの企業が落札しても施工する下請け企業の面々はそんなに変化しないのではないか。となると、過当な競争が行われ契約金額が著しく下落した場合、そのしわ寄せを下請け企業に向けることは非常に難しくなる。なぜなら、その下請けにとって、その企業が唯一の相手先ではないのだから、無理に採算の合わない契約を受ける必要はないからだ。とすれば、同じ下請け企業を使う企業同士にとって見れば、競争すること自体が不合理になってしまうのではないか。

談合組織による契約金額は不当なのか

今回検察が告発した容疑は独占禁止法の「不当な取引制限」の部分である。つまり、談合組織に参加していなかった企業が入札に参加した際に妨害したというのがその理由。
ところが、新聞等には、「この談合組織が絡む契約は、その契約金額が予定価格に限りなく近づいている。これは、談合によって不当に価格がつり上げられた結果で、それ故に国民の血税の無駄遣いとなっている。」なーんて、あたかもその契約金額が不当であるかのごとく書かれている。
まず、そもそもこの予定価格とは何なのか?ある本によれば、

予定価格
その契約金額決定する基準として契約担当官等があらかじめ決めておかなければならない価格をいい、契約の目的となる物件又は役務について、取引の実例価格、需給の状況、履行の難度、数量の多寡、履行期間の長短等を考慮して適正に定められるもの。そして落札はこの価格の制限内において決定され、当該落札者と契約が締結される。

とある。
とすると、予定価格というのは、その契約において官公庁が定めた「適正な価格」であるのだから、新聞等の論調はおかしくはないだろうか?確かに、予定価格を大きく下回ればそれだけ税金の節約にはなるのだから、落札金額が低いに越したことはないのだろうが、予定価格に近いからといって不当な価格というのは間違いである。予定価格に近いから不当というのであれば、そもそも官公庁が設定する「予定価格」自体が不当ということになる。

公共事業の意義(安ければいいのか?)

一般に公共事業と言えば、公共性の高い施設やインフラの設置、国を挙げての大規模事業のことを指すが、必ずしもその事業の結果だけが目的ではないと僕は考えている。大規模事業の発注により生み出される大きな雇用需要、設備投資こそが、その意義ではないだろうか。であれば、いたずらに価格競争をさせても企業を疲弊させるだけで、何も得るものはない。「やすく施設が手に入るんだからいいじゃないか」という意見もあるだろうが、勤めてる会社が潰れてしまっては本末転倒だろう。

結局まとまらない

現在の日本の業界構造が正しいとは少しも思わないが、マスコミによる一方的な世論の誘導もいかがなものかと思う。このような構造が長く続いてきた背景には、それなりの理屈、理論があってのことだろうから、ただ「悪いからやめろ」というのでは、業界そのものが崩壊しかねない。
今後、発注した官公庁側も含め、マスコミがどんな論調でこの話題を報道していくのか興味があるが、批判は誰にでも出来るのであるから、批判ではない建設的な意見によって、世論を動かすような報道を望みたい。
やれやれ、書けば書くほど論点が見えず、酷い文章になってしまった。実際自分でも何を言いたいのかが、イマイチわからない。ま、こんなことを思っているということだけでも伝えられればと。
最後に、この文章は僕が勝手に想像したものであり、内容の検証等は全く行っていないので、事実と異なる部分があってもご容赦願いたい。