ゲームオーバー

宮城県登米市米山町の駐在所で警察官が14歳の少年に刃物で刺されるという衝撃的な事件が昨日起こった。
http://www.asahi.com/national/update/0824/TKY200508240266.html
少年は警察官のけん銃を奪うために、駐在所に警察の仕事に興味があると偽り、20分も警察官の説明を聞いた上で、背を向けた警察官を刺した。実に計画的に、そして実に冷静に。
警察官に取り押さえられた少年は、泣きじゃくりながら「自殺しようとした」と言ったらしいが、これはたぶん嘘である。「お巡りさんに悪いことをした」という発言もあったようだが、これは本当だろう。でも、捕まるまではそうは思っていなかったに違いない。


彼にとっては、ゲームだったのだと思う。刃物を手に入れた時点で彼の頭には音楽が流れ、「○○は、ナイフを手に入れた!」とキャプションが付くのである。そして、当然の如くもっと強い武器を得るには現在の武器で敵を倒さなければいけないのだ。その敵が警察官だったのである。
こんな書き方をすると、じゃあ今回の事件はテレビゲームが原因かと思われるかもしれなけど、決してそうではなく、現在の社会構造自体の問題だと思う。


今の子供には敵がいない。敵と書くと恐ろしげだが、自分のやりたいことに対して障害となものがない。
まず親が子供を叱らない。ここで勘違いしてはいけないのは、叱るというのは口で言うことではなく、それなりの衝撃を子供に与えることである。これは、大人が子供に対して上位であることを示すための行為であり、時には叩くことも必要であろうが、それだけを言うわけではない。
そして学校では、先生が叱らない。叱るとPTAから苦情が上げられ、更にはマスコミに叩かれるからである。そんな時代が長く続いた結果、とうとう本当に叱り方を知らない人間が教師になってしまった。今後も学校には期待できない。
結果、子供は障害への対処を知らないまま育つ。そして、自らの経験としての障害はテレビゲームの敵だけとなってしまい、多くの場合テレビゲームの敵は相手を排除することによって解消できるのである。そしてそれは、ここ数年、子供たちによる悲劇が多く起こる原因になっているのではないかと思う。彼らにとって「障害」は「排除」すべきモノであるのだから。


親や先生が叱ることは「罰」ではない。叱るという行為は子供の「障害」になることである。そうすれば、家庭や学校という場で、なぜその障害が発生したのか、その障害を解消するにはどうしたら良いのかを子供は学ぶことが出来る。そうやって、「障害」の解消が「排除」だけではないこと知るのだ。


結局今回の事件の彼も、自分がしたいことへの「障害」を排除しようとした結果、こんな事件を起こしたのだと僕は思う。
彼はまだ14歳だ。数年すればまた社会に戻ってくる...
願わくばそれまでに社会が成熟し、彼が「リトライ」しないことを祈りたい。