それは誰のため?

「2%」....スペースシャトルのおおよその損耗率である。実際に搭乗する宇宙飛行士にとっては、取るに足らない数字であると僕は思うが、米国の世論はそれを許さない。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20050429k0000e030009000c.html
NASA(米航空宇宙局)は現地時間29日、スペースシャトルの安全対策が完了していないとして5月に予定していた打ち上げ再開を7月下旬に延期すると発表した。これは、スペースシャトルが、普通の飛行機並みに安全でなければならないということだ。
元来、宇宙開発は一部の強烈なエゴイストによって推進されてきた。
「宇宙を目指すためなら、何を犠牲にしてもかまわない」
実際に宇宙に飛び立つ飛行士たちの心情は今もあまり変わらないような気がする。しかし、打ち上げる方はどうか?
フォン・ブラウンは、自分ロケットを打ち上げるためなら、軍のための仕事もするし、あげく、元敵国で月まで到達するロケットシステムを構築した。コンスタンティン・E・ツィオルコフスキーは、ロケット推進についての自分の理論が認められるまで、それに伴う犠牲を全く問題としなかった。
これらの人たちは、人類のためを思って行動していたか?違うだろ?この人たちは、「自分の夢」を「皆の夢」に置き換えることによって、それを実現するための環境、財源を確保してきたのだ。
そして、現在のNASAも必死になって「皆の夢」を作り出そうとしている。火星探査しかり、木星探査しかりである。しかし、情報網が発達した現在では、コスト面ばかりが目立ってしまい、「無駄」というイメージしか出てこない。
こんな現状であるからこそ、今後、宇宙開発を推進するためには、強烈なカリスマを持ったエゴイストが必要だと思うんだけね。ま、そんな人なかなかあらわれんか。
とりあえず当面は、スペースシャトルの打ち上げが無事に再開されるのを望みたい。