薄情者...

今日は恩師の4回目の命日。
こう書き出すと、まるで僕がとても義理堅い人間のように感じる人もいるかも知れないけど*1、こと人の死に関していえば、まったく逆である。だって、この恩師にしたって、亡くなって以来お墓参りには行ったことがないし、今日が命日だと知ったのもケータイのスケジュール帳にたまたま登録していたからで、別に積極的に覚えていたわけじゃないし。そもそも、自分の両親の命日すら忘れるくらいなんだから。
じゃあ、亡くなった人を尊ぶ気持ちがないのか?と問われれば、そんなことはない。人並みに彼岸や盆、年忌は亡き人を偲ぶし、所謂スピリチュアルなものだって否定するわけじゃないっていうか、僕自身がお寺さんの孫であるが故に、より積極的に関わってきた方かも知れない。


でもね、どっか人の死ってものに醒めてるんだよねぇ...


子供の頃から僕はお葬式で泣いたことがない。記憶にある最初のお葬式、母方の叔父の葬式で、出棺後、火葬場に行き荼毘に付した際に、母親に尋ねた覚えがある。
「何で泣いてるの?」
幼稚園か小学校1年生くらいだったから、人が死ぬということをそれなりに理解していたとは思うけど、そのころから何処か醒めていたのかも知れない。
で、それ以来葬式で泣いたことはない。小学生の頃、友達を事故で亡くしたとき、母が亡くなったとき、祖父母が亡くなったとき、そして父が亡くなったときも。
なんか、どっかの感覚がおかしいんだろうね。人の死を目の当たりにすると、涙するような深い悲しみよりも、ああこういうものなんだな、もういなくなってしまったんだな、と考えてしまう。別に悲しくないワケじゃないけど、やっぱり醒めてるんだなぁ...


ときどき、自分はとんでもなく薄情者じゃないだろうかと考えることがある。まぁ、実際そうと思われてしまうような言動を周囲にもしてるので、そのとおりなのかもしれないけど。でも、ふとしたときに亡くなった人のことや言葉、教えを思い出し、いつまでも忘れないでいることがきっと大切で、自分はそれが出来てるからイイじゃないかと自分を慰め、日々の罪悪感から逃げてるんだよね。
恩師の命日、来年は覚えてるかな....


イカンねぇ、くだらない仕事に巻き込まれてるせいで、何とも暗い文章を書いてしまった...

*1:このブログをよく読んでる人にはいないか(笑)